教育基本法「改正」反対・2 愛国心・郷土愛

何を目指す?

 去年の総選挙で教育基本法「改正」を念頭に自民党に投票した人ってどれくらいいるんでしょうね?

 ま、それは置いておいて、やっぱりまず採り上げたいのは、もっとも注目されている「愛国心」の問題ですね(正確には「我が国と郷土を愛する〜」(民主党案では「日本を愛する心を涵養し〜」)ですが、まあ「愛国心」で良いでしょう)。

 数日前のニュース番組で、ある議員が「愛国心を持つことは世界の一流国民の常識」みたいなことを言っていました(正確ではありません)。
 世界の一流国民…それって中国?
(参照:八栄八恥「20.75世紀メディア」諸外国における国旗,国歌の取扱い「文部科学省」
 なるほど、中国とか北朝鮮とかって愛国心教育とかに熱心そうなイメージがありますよね。そうか、自民党民主党は日本を中国化することを目指していたのですか。もうすぐ日本人も中国人並の一流国民に!バンザーイ!…ふう。

国の愛し方

 まあ、そんな個人(国会議員だけど)の発言に対してどうこう言うのはやめときましょう。
 教育基本法が「改正」されると、以前福岡市の学校でおこなわれたような、通知表で愛国心を評価するのが当たり前になるかもしれません。そうなったとすると、それは現実として受け入れ、どうやって高い評価を受けるかを考えなければなりません。
 まず、心の中でどれだけ国を愛してもそれだけではだめです。しっかりと態度にして表さなければ解って貰えないので、どういった行動を示すのかが重要です。

 例えば…、
“日本をダメにする小泉純○郎を○○する”、“日本を独立国家にするためにアメ○カにテ○をしかける”
 うん、これでバッチリと皆に愛国心があると認めて貰えます!現在学生の人、学生の子供をもっている人は今から準備しておきましょう。いや、私は学生ではないし子供もいないので関係ありませんが。

 とりあえず“愛国心”は置いておきましょう。
 愛国心にも郷土愛にも共通するキーワードは“愛”。愛ってなんでしょう?ためらわないこと…でなくって。

 私の“愛”のイメージは、「愛されたいのに愛されない」、「愛するべきでないのに愛さずにいられない」、といったような“ままならないもの”です。まあ失恋の経験のない幸せな人には解らないでしょうけどね(ヤケ)!
 そんなままならないものを、“放っておいても愛さずにいられない国にすること”を抜きにして、どうやって教え込むのでしょう?無理矢理やろうと思うと結局“洗脳”ってことになるような気が。はっ、やっぱり北(以下自粛)。

郷土愛

 “郷土愛”、耳障りの良い言葉ですね。この言葉を聞くと、透明のきれいな川、山一面の紅葉、のんびりとした田園風景、美しい日本的な建築などを思い浮かべます。…あれ?私の住んでるところにそんな風景はありませんよ?ガキの頃遊んでいた山はすっかり住宅街になっています。川はコンクリートで補強され、なんか茶色い水が流れています。
 その是非はともかくとして、日本の大部分から“美しい自然”や“伝統的な町並み”が消えてしまったのは何故でしょう?誰がそれを推し進めていったのでしょう(今現在も)?

 今“郷土愛”とかいった言葉を声高に叫んでいる人たちが、いったい何をしてきたのか。その辺りをしっかり見極めないと、本心から「郷土愛を持つことが日本のため」と考えている人のその純真な心は、結局いいように使われるだけになるでしょう。

内心の自由という最低限の自由

 いや良いんですよ、愛国心や郷土愛が大切だと思うことは。そういったものは内心の問題で、誰かに否定されるべきものではありません。私には“愛国心が大切だ”という考えに至る理屈はわかりませんが、そういった気持ちは尊重するべきだと思っています。
 しかし同時に、私が持つような“国民は国と距離を置き冷静に見つめることが大切”という考えを否定されるのを拒否します。論理的に説得され納得すれば別ですが、決して教育という形で“愛国心”を押しつけられたくはありません。それが私の正直なところです。

 えー、とりあえず無理をしない書き方(ある意味“非はてな的”?)でやってみましたがどうでしょう。バカっぽすぎますか?まあ緻密な内容を書くつもりはありません(書けません)ので勘弁してください。次の内容も大雑把に考えていますが、なにせ時間が…。