「ハルヒダンス」は何が評価されているのか?

※追記・再追記を書いています。

 本文部分は無理な内容が多く、これを取り下げたいと思います。コメント欄やブクマコメントでの批判の多くはその通りだと受け入れます。
 はてなスターを付けてくれた方や賛同的なコメントやブクマコメントを書いてくれた方には申し訳ありませんでした。

 珍しくアニメについて書きます(今こういう話題を書くとは本当に空気が読めませんね!)。“あの”「涼宮ハルヒの憂鬱」についてです。
 と言っても私はこの作品の本編を観てませんので、当然本編には全く触れません。

技術は技術でしかない

 この作品は一昨年くらいに流行っていましたね。あちこちのブログでもイヤというほどこれについてのエントリーを目にしました。
 で、それらではよくオープニングだったかエンディングだったかの映像が貼り付けられていました。「ハルヒダンス」とか呼ばれているアレです。その映像は非常に人気があるらしく、あちこちでネタにされ、しまいには人間がそれを真似て踊る映像が動画投稿サイトなどにアップされていたようです。
 私もその(元の)映像を観たことはあるのですが…正直観ていても違和感しか覚えず、なぜこれがそんなに評価されているのかわかりませんでした。

 いや、技術的にすごいのだろうということは素人の私でも想像できます。あれほどにウネウネと細かく動いているアニメは(特にTVアニメでは)観た記憶がありません。
 でも、技術は技術です。Tシャツプリントに例えると(なぜ)、インクの発色が良い、細かい柄がつぶれていない、圧膜のエッジがたっている、版ズレがない、などといったことと同じで、それ自体決して直接消費者から評価されるものではありません。
 ファッションにこだわる人が、「わー、これ切り替えをまたいでるのに柄がつぶれてない!」とか「インクジェットとシルクスクリーンをうまく組み合わせているなぁ」とか言ってくれることはありません。技術的に優れていてもダサいロゴやもっさいキャラクターがプリントされているだけでは見向きもされませんし、多少技術が雑でも全体的な柄が良ければ売れます。
 もちろん表現の幅を広げるために技術は必要ですが、まずは表現ありきで技術はそれを下支えするものでしかありません。

 話を元に戻すと、「ハルヒダンス」は確かに技術的にスゴいことをやっているのでしょうけど、しかしその技術でいったい何を表現しているかを考えるとあまりにもチグハグなことをやっているのではないかと感じるのです。

バランスの悪い“リアルさ”がもたらすもの

 いったい「ハルヒダンス」のどこに違和感を覚えたのか。それは“リアルすぎる”ことにです。
 恐らく実際にダンサーに踊らせそれを元にして制作されているのでしょうけど、それがあまりに人間の動きに近すぎて、デフォルメされたキャラクターデザインとの間にギャップが生まれてしまっています。

 手や足の動きに反動がある。頭の動きが体の傾きと連動している。そういった本来当然の動きが、人間本来の形とは違うキャラクターの体形あっていません。
 同じことはゲームの「アイドルマスター」にも感じます。このゲームの映像もよくアチコチで見かけますが、アニメチックなデフォルメされたキャラクターデザインとリアルな動きとがちぐはぐで、まるできぐるみを着て踊っているかのようです。

 アニメにしろゲームにしろ、“リアルさ”というものは全体的なバランスが大事だと思っています。
 ゲームにありがちですが、写真のようなリアルな映像でありながら、見えているところに行けないというゲーム的なお約束がギャップを生む。というより、リアルな映像から想像できる“できそうなこと”が実際にはできない時、逆に「リアルでない」と感じさせます。
 ある部分が突出して“リアル”であったとき、他の部分の“リアルさ”との差が単なる差にとどまらず、他の部分の“リアルさ”を押し下げているように錯覚してしまいます。

 今人気のある漫画「今日からヒットマン」は劇画タッチなので、これが「ハルヒダンス」のようなリアルな動きでアニメ化されればあまり違和感は覚えないでしょう。しかし「涼宮ハルヒの憂鬱」の登場人物は低めの等身、大きさや配置が実際と異なる目鼻、とあまり“リアル”ではありません。動きのリアルさとキャラクターデザインのリアルさの差が違和感となるのです。

 よーするに、デフォルメされたキャラクターにはデフォルメされた声と動きこそが必要だという当たり前のことなんですが。
 一般の役者がアニメの声を演じると違和感を覚えることが多いですよね?逆に本来なら不自然なアニメ声優による声の演技はしっくりきますよね?動きもそれと同じなはず。ディズニーのアニメはよく動きますが、その動きはオーバーにデフォルメされています。

そこで何が表現されたのか

 他の多くのアニメ作品では、各部分の“リアルさ”のギャップを埋めることはおこなっているはずです。
 例えば「ゾイド」(アニメの正式なタイトルはなんでしたっけ)。この作品ではロボットが3DCGで描かれていますが、よくあるツルツルテカテカなCGっぽい質感ではなくセル画風の処理がなされており、これが普通のアニメの手法で描かれた部分とロボットの描かれた部分とのギャップを上手く埋めていました。
 また、「プリンセスチュチュ」はバレエをモチーフにした作品で、バレエの動きを要所要所に折り込み実際に踊りもよく踊らせていましたが、等身の低いキャラクターに合わせて決してバレエの動きをそのままトレースするのではなく、動きそのものをデフォルメして表現していました。
 しかし「ハルヒダンス」にはそれらの工夫が見られません。

 さらに言うと、「ハルヒダンス」で表現されたものに一体どれだけの価値があるのかが疑問です。
 私はダンスのことはよく知らないので“ダンスとしての出来”はわかりません。しかし、“登場人物の表現”としては問題を感じます。
 本編を観ていないので推測でしか書けませんが、ダンスを踊っているキャラクターにはそれぞれ強い個性があるのだと思います。しかし「ハルヒダンス」からはそれらの個性が伝わってきません。短髪の女性キャラクターはいかにもな“無表情キャラ”っぽいし長髪のは“天然”っぽいですが、ダンスの動きは他のキャラクターとほとんど同じです。
 上で挙げた「プリンセスチュチュ」は、ある者は優雅に、ある者はキビキビと、ある者は儚くある者は激しくある者はコミカルにと、登場人物ごとに踊りにも個性が表わされていました。そこでは“技術”はあくまで表現するべきものを表現するために使われています。

 「ハルヒダンス」が“スゴい技術”を使って何を表現しているのかと言えば、登場人物の個性を無視し技術ばかりを前面に押し出した企業のデモンストレーションでしかないのでは?それは展示会場で業者向けにおこなわれる分には十分でも、一般視聴者向けとしてはおかしいのでは?それを支持するアニメオタクはどうなの?と、そう感じずにはいられません。

アニメはどこへ行こうとしているのか(おおげさ)

 私は声優の名前とか全然知らないのですが、アニメオタクはどの声優がどの作品のどの登場人物を演じているかとかよく知っていますよね。それはアニメにおける声の演技を重要視しているからだと理解しているのですが、なぜ動きに対しては無頓着なのでしょう。

 「ハルヒ」が流行ったあと、今度は「らき☆すた」という作品が流行りましたね。これも私は本編を観ていませんが、やはりオープニングだかエンディングだかの映像をあちこちで目にし、「ハルヒダンス」と同じ違和感を覚えました。で、「なんかヤバくない?」と思ってしまうのです。これからアニメが“動きのリアル志向”で進んでしまうと、かつてのTVゲーム業界(2Dから3Dへと移行していったリアル一辺倒の辺り)と同じ愚をおかしてしまうのではなかと。
 いやまあ私はあまりアニメを観ないのでどうでもいいといえばどうでもいいんですけど(えー)。

 とりあえず、「ハルヒダンス」を絶賛するアニメオタクはぜひ「OVA魔女っ娘つくねちゃん」を観ましょう!あれこそは「ハルヒ」の対極にある一つの究極のアニメだと思いますマジで!!

 しかしここを読んでる人でアニメをよく見る人ってどれくらいいるんでしょうね?せっかく書いたのに誰にも読まれないような気がします!

追記

 予想以上に批判的なコメントやブクマコメントがついたので、いくつかに応えてみたいと思います。
 あと、釣りだ釣りだとうるさいので見出しも変えました(旧タイトル「涼宮ハルヒの憂鬱」を絶賛するアニメオタクはエセオタクだ!(見出しは演出です!!!)」)。流行に乗ってみたつもりだったのに(遅れてる)!

まず、id:KoshianXさんのコメント

アホか。本編見てなきゃ表現されたものが何かわかるわけないだろ。本編見終ったからこそあのダンスの意味がわかるんではないかね。

他にも「本編を観ずに…」といった種類のコメントが多く見られました(id:bunoumさん、id:te2uさん、id:isoさん、id:kyo_juさん)。これらは一見正論のようですが、実際にはとてもナンセンスなものです。

 まず、本編と「ハルヒダンス」の切り離しをおこなっているのは私ではありません。それは、動画投稿サイトに本編から「ハルヒダンス」のみを切り出してアップしたり、それをブログに貼り付けて紹介している“ハルヒファン”です。私はただ単に、本編から切り離されたそれらを動画投稿サイトやブログで偶然目にしただけです。それらがなければ、私は本編を観ないかぎり「ハルヒダンス」を観ることはなかったでしょう。つまり、彼らの「本編を観ているという前提を共有しない者」も訪れるそういった場所へのそういった行動によって単独で世に放たれたことで、事実上「ハルヒダンス」は本編から独立した単独の映像作品となってしまったわけです。
 これは製作者にとっては不本意なことでしょう。しかし、一つの作品について語る時、製作者の思惑を考慮する必要はないはず。「「ハルヒダンス」と本編を切り離すな」という文句は、私にではなくハルヒファンに向けてください。

 本編でとり上げたアニメの「ゾイド」、あれは元となったプラモデルとして展開していた「ゾイド」を知っているか否かで評価の仕方が変わってきます。かつてゾイダー(ゾイドオタクのこと)だった私は、あのアニメをゾイドの流行・迷走・凋落・企画の終了・そして復活の狼煙としてのアニメ版「ゾイド」というように、ゾイドのたどった流れの一環として語ることができます。細かい部分でも、ある回で出てきた初期のマイナーなゾイドにどのような意味があるのか、そういった視点で観ることができます。これは単独のアニメとして「ゾイド」を観ていた人には不可能なことでしょう。
 では、プラモのゾイドを知らない人にはアニメ版「ゾイド」を語る資格はないのでしょうか。もちろんそんなことありません。アニメ版「ゾイド」にはプラモのゾイドの販促番組としての役割が確実にありましたが、そんなこととは関係なく単独のアニメとして評価されることを免れません。一つの作品に関する様々なことは、全てつながっていると同時に切り離すこともできるはずです。
 「ハルヒダンス」が事実上ハルヒファンによって単独の作品として仕立て上げられたのであれば、それもまた本編とは無関係な単独の作品として扱われて当然です。

 id:Amerikanさんのブクマコメントが気になりました。

KurokageさんはWiiハルヒのダンスゲームが出ることについてどう思いますか?

 id間違ってますよ!というのは置いておいて、そういえばそういう情報をゲーム雑誌で見た覚えがあります。その紹介サイトを見てみると、そのゲームはストーリーモードもあるようですが、基本はダンスに特化した内容のようです。これなど正にアニメ本編と「ハルヒダンス」の切り分けでしょう。もし何かの気まぐれで私がこのゲームをプレイしたら、当然アニメ本編のことは全く考慮に入れず、単独のゲームとして評価するでしょう。
 以上のことから、「本編を観ずに「ハルヒダンス」を語るな」というのは「原作小説を読まずにアニメ版を語るな」と同程度の暴言だと考えます。

 次にid:heartless00さんのブクマコメント。

三次から薄れつつあるリアルや日常を作品のなかで表現する試みだと思う。エヴァの時よりも日常の大切さを感じた。id:kurotokageは二次にも三次にもリアリティを求めない?ははは、下らない人生だな。←ココ演出


 えーと、私はリアリティを求めるのが悪いとか書いた覚えはありません。むしろ逆で、ある部分でのリアリティばかりを追求するのは全体のリアリティを損ねるのではないかという(それ自体あっているかどうかはともかく)疑問を書いたつもりです。
 もとより私は「オーガス02」とか「WXIII機動警察パトレイバー」のような日常を丹念に描いた作品が好きで、アニメで日常のリアリティを表現することの意義を理解しているつもりです。

 と誤解を解いた上で、では「ハルヒダンス」が“日常”を描いたものなのでしょうか?確かにこれは本編を見ていないとなんとも言えないかもしれません。本編を見ていれば、あれがあの登場人物達にとっての“日常”だと思える可能性があります。
 しかし、本文でも少し触れた「らき☆すた」はどうなのでしょう。私は「らき☆すた」は原作漫画を2巻まではアニメ化前に読んでいます。アニメは基本的に原作に準拠しているらしいので、登場人物はだいたいそのままなのでしょう。では「まったり萌え四コマ」の「らき☆すた」の登場人物達にとってあのダンスは“日常”なのでしょうか?運動神経があるというこなた以外の人物にあのダンスを当てはめて、それが“日常”だとはとても言えないと思います。

 コメント欄のid:y_arimさん。一番反応の欲しかった人に反応がもらえて嬉しいです。しかし、批判としては的を外していると感じます。
 とりあえず指摘された事実誤認(ダンサーを使ったと想像したことと色々な嗜好のあるアニメオタクを一緒くたに扱ったこと)についてはあやまります。すみません。

 「ハルヒダンス」においての人間的におかしな動きを細かく抜き出しての指摘はさすがだと感じますが、しかし約1分間ひたすら動き続けるそれに対し、それぞれ1秒にも満たないそれらを10とりあげても、全体の6分の1におかしな動きがあるとしか受け止めることができません。
 人物の個性についても、サビやラスト部分以外でも場所を入れ替える場面でそれぞれの人物に「役割を演じさせる」ことである程度個性を描いているとは思いますが、そういった一部一部においての描き方よりも全体を通してどう描かれているかが大事なのではと考えます(男性キャラクターは一方がジャケットと黒板の色が近くて動きが比較しづらかったです)。

 私が「リアルすぎる」と書いたのはいきすぎだったかともと思いますが、しかし、では有村さんはとりあげたそれらの部分をどう感じているのでしょうか?仮に「ハルヒダンスver2」が作られるとすれば(もしかすると「らき☆すた」のがその役割を果たしているのかもしれませんが)、ハルヒファンはそれらの点をどうすべきだと思うのでしょう?そのままで良いのか、他の部分に合わせて自然な動きに変えるのか、他をリアルでない動きに変えるのか。それによって「ハルヒダンス」を評価する人たちがあの映像をどう捉えているのかが理解できそうです。

 私が知りたいのはそこなんですよね。今回の内容は思いつきでいきなり書いたわけではなく、以前から書きたいと思っていのものですが、書こうと思った時から「ハルヒダンス」についてのハルヒファンの評価をいくらか見回っていました。
 そこでは皆「ハルヒダンス」を絶賛しているけど、一方で一体何を評価しているのか全く分からなかったのです。なので私は技術的な部分を評価しているのだろうとあたりをつけ今回の内容を書いたのですが、それに対する反論もいまいち要領を得ない。
 そこがわからなければ、どんな批判も単に揚げ足をとっているだけとしか感じません。

同じくコメント欄のdaaku_naitoさん。
 私は別に「ハルヒダンス」を批判したかったわけではなく(でも改めて読み返してみるとそうとしか読めませんね、すみません)、上でも書いたように一体何が評価されているのかが理解できず、それを知りたかったのです。批判の材料が無いというよりも、評価される材料が見当たらないというか。
 その材料は本編にこそあるというなら、それは私の見当違いだったということでしょう。私はてっきり、「ハルヒダンス」は本編から切り離されても評価され得るものであると思っていたのですが(大勢の人が集まって路上で踊るなんてのはそういうことがあってのものだと)、そうではなく「ハルヒダンス」は本編の単なるオマケでしかなく、本編を見ていなければ価値のないものだというのであれば。

 最後にid:CrowClawさんのブクマコメント

あれってオタクが真似して踊るためのダンスじゃなかったの?実際にやるならそれなりにリアル志向でないと困るじゃん。

 これはまったく想像しませんでした。確かにwebが普及しオタクどうしが繋がりやすい環境の今、そのような理由で映像が作られてもおかしくありません。今回の反応の中で一番腑に落ちました。

再追記

 どうも意地になっていたようです。とりあえず少し時間を置いて考えてみたところ、思い違いや認識不足が多く色々とまずい内容だったと判断し、本文部分を取り下げたいと思います。
 反応を下さった方の中で特に、丁寧な指摘をしてくれながらムチャな応答をしてしまった有村(id:y_arim)さんには本当に申し訳ありません。

 それとは別に、「本編を観ずに語るな」という批判には今も納得していませんので。
 と、書いているところにid:fuzzy2さんによる重要なブクマコメントが。

放送1話本編のキャラの動かなさ加減のフラストレーションの後で、気持ちよく動くダンスEDの爽快感がポイント。ダンスEDの表現手法を突っ込むのは野暮ってものではないかと。

 納得しました。確かにそういうことなら本編と切り離すことは無理だし、本編あっての魅力ということになるでしょう。fuzzy2さんに感謝します。

 しかしそうなると別の疑問が出てきます。fuzzy2さんのコメントを信用するなら、本編と「ハルヒダンス」は決して切り離してはならないものであり、本編を観ていない者が知っているべきではないものではありませんか。第1話の実質的なネタバレということでしょう?それがあちこちで注意書きもなく目にすることができてしまうということは、推理小説の犯人がブログに無造作に書かれているのとどう違うのでしょう?「観てから言え」とかのんきなことを言ってる場合ではないはず。
 あらかじめ「ハルヒダンス」を知っていることによって第1話から受けるはずの驚きが削がれるなら、それはアニメの「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品の魅力がいくらかでも削がれることを意味するのではありませんか。それはハルヒファンにとって不本意なことであり、拡散を防ぐことはできなくても、それに対し批判的であるべきなんじゃないでしょうか?
 それともネタバレであっても多くの人の目に触れるべきものだと言うなら、やはりそれを単品の作品として観ることは何もおかしくはないはず。
 納得できたはずなのに納得できません。

※あまり関係ないことだったので削除します。グダグダですみません。

 それにしても今回はこたえました。批判的なコメントがどれだけついても気にならないというつもりだったし、以前炎上っぽくなった時は実際あまり気にならなかったですが、今回はなぜか強烈にきました。おかげで昨日はほとんど眠れませんでしたよ!寝不足と暑さのせいか昼飯を吐いてしまったし!!
 何がくやしいかと言えば、ブックマーカーの思惑どおりに心を乱されてしまったこと。ああ本当にくやしいですよ!