「死刑について。」について

kurotokage2008-07-27

 タイトルが思いつきません。
 それはともかく、最近目にした「はてな匿名ダイアリー」の記事「死刑について。」について。

 殺人事件の被害者遺族でありながら死刑廃止論者であり、そのことを言えないでいる辛さを語ったエントリー内容は心を打つものがありました。
 私の場合、周りがほとんど死刑支持者でありながらどうどうと反対を言えるのですが、もしかしてそれは環境に恵まれているんでしょうかね?

 反対論者と存置論者の境遇に非対称性はあると感じます。ブログ等で死刑の是非について語られるとき、反応があからさまに違いますね。ただ死刑反対であることを表明しただけで存置論者による批判的なコメントやブクマコメントがたくさんつけられるというのはよく目にする光景ですし、逆に粗雑な存置論でも当たり前のように受け入れられています。この辺は死刑賛成が8割、反対が1割という数の差からくることでしょうか。

 しかし元エントリーの人の場合は、被害者遺族であるということが大きいのではと想像できます。私のような殺人事件と直接関わったことのない人間ではなく、当事者だからこそ反対を言えない。
 死刑の是非についての論争で存置派から必ず出てくるのが「被害者遺族の感情を考えろ!」というもの。これは被害者遺族なら加害者を殺すことで復讐を果たしたいと考えて当然だという前提で出てくるものでしょう。だから被害者遺族がその前提に反することを言えば“異常”だと思われる。被害者や被害者遺族にはそのような抑圧が働いていることは間違いないでしょう。
 松本サリン事件の被害者である河野義行さん(うちのブログでは刑事事件の容疑者・被害者・被害者遺族の実名は書かないようにしてますが、河野さんは公人やジャーナリストとして活動しているので実名で)も、そのスタンスから異常視されることがあります。

 で、その辺を見事に表した内容のレスエントリー(という呼び方でいいのかな?)が。
http://anond.hatelabo.jp/20080722121819

 まず、一行目からアレですね。

死刑廃止したら私刑が増えるよね。

 まあ、こういう主張はたまに目にしますが、何を根拠に言ってるのでしょう。先進国と呼ばれる国の多くが死刑を廃止していますが、それらで私刑が増えているという報告はどのていどあるのでしょうか。

 いやそれ以前に、日本でも殺人を犯せば死刑になるというわけではありません。
 2007年の殺人認知件数は1199件(検挙率は96.5%)。それに対して同年の死刑確定数は23件。逮捕から判決が下されるまでに数年かかりますが、2007年の殺人認知件数は戦後最低、死刑確定数はここ40年で最高(1970年から2003年まではほぼ一桁)であることを考えれば、殺人事件に対する死刑判決の割合は本来よりもずっと高くなります。それでも2%ほどです。

 つまり自分の家族が殺されても、死刑によって遺族の応報感情が満たされることの方がずっと少ないわけです。
 では応報感情の満たされなかった彼らは、高い確率で私刑をおこなっているのでしょうか?そのような話は聞いたことがありません。加害者が刑務所にいるから物理的におこなえないというのはあるでしょうが(無期懲役になれば30年は出てこれないのですし)、しかしそれだけではないでしょう。加害者を憎んでいても私刑を思いとどまらせる何かがあるはずです。「死刑を廃止したら私刑が増える」というのは被害者遺族の心情を単純化して見る態度でなければ言えないのではないかと感じます。

 とはいえ、私刑のおこる割合についてのデータが無い以上、そんな与太話にツッコミを入れるのも意味が無いかもしれません。
 それよりもそれ以後の内容がひどい。

だってキミ、叔父の仇は討たないの?討つよね?なに?討たない?そりゃ叔父に対する愛情が足りないからだ。冷たい奴だな。むしろ殺したかったんじゃ?

 いやひどいというか典型的すぎて笑ってしまいますが、こういうのを見ると元エントリの人が死刑反対を言えないのも当然と感じますね。

 この人は家族が殺されれば加害者を殺したいと思うのでしょうしそれはおかしいことではありませんが、皆がそう考えるかはわからない。加害者を憎んでいても殺すことを願わない人もいることをこの人は想像できないんですね。

 この人にとっての“被害者遺族”は“加害者を殺したい被害者遺族”であって、それ以外は“被害者遺族”にはあたらないのでしょう。被害者遺族も一人一人考えが違って当然なのに、“加害者を殺したくない被害者遺族”を“異常”視し、「冷たい奴だ」と罵倒する。これは“被害者遺族”にかくあるべき姿を押しつける抑圧以外のなにものでもありません。

 応報感情を理由に死刑を支持する人が皆、このような被害者遺族を都合よく利用する人や、死刑反対の被害者遺族を少数派だからと切り捨てる人ばかりではないと思いたいのですが…実際のところどうなんでしょうね。
 それと同時に、殺人事件以外で“何か”に、戦争・公害・貧困・冤罪による死刑などによって家族を殺された人間の応報感情のことをどう考えるのかを知りたくもあります。