“リスク管理”“防犯意識”を叫ぶいかがわしさ・2つの性犯罪に関する反応から感じること

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm
痛いニュース(ノ∀`) : 「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」 米兵による少女集団レイプで、広島県知事が発言→非難の声 - ライブドアブログ

 広島と沖縄でおこった性犯罪。それに対する反応に、やはりと言うか何と言うか、被害者の“落ち度”をあげつらう声がありました。今回はそれらについて。

危ないのはあなただ

 まず、日本におけるレイプ事件の3割以上が“顔見知り”による犯行とされています。なので(泣き寝入りのケースを考えに入れなければ)3割以上の事件には「知らない人についていってはダメ。」というのは通用しません。
 つまり、3割以上という割合の大きさを考えると、レイプ事件を想定しての“リスク管理”を本気で訴えるなら、この“顔見知り”による犯行というものも強く訴える必要があります。

 あなたの娘、姪、妹、姉、友人、同僚に「俺がお前を襲うかもしれないから俺こそを疑え」と。
 さらに「父親、兄弟、親戚、友人、教師、同僚、近所のおじさんを疑え」と。
 性犯罪に遭うのは女性ばかりとは限らないので男女問わず言わなければなりません

 それができていないのなら、軽々しく“リスク管理”などと口に出さない方が良いでしょうね。

あなたが犯罪に遭えば笑いながら落ち度を指摘してあげよう

 そもそも、“リスク管理”って言葉自体がなんとも胡散臭いですね。
 どんな事件であっても、それが起きてからならいくらでも“落ち度”を指摘すること、ようするに“後出しじゃんけん”的な批判なら、容易にできます。“落ち度”の無い犯罪被害者なんてそうそういません。同時に、起きてからなら「どうすれば良かったか」もいくらでも言うことができます。
 “リスク管理”を名目にした被害者非難の卑劣さの一つはここにあります。

 当たり前ですが、四六時中犯罪に遭うことを想定して生きているわけではありません。朝急いでいて原付のキーを差したまま駐輪所に停めてしまった。仕事場でトイレに行っている間だけと思い財布を出しっぱなしにしていた。そういったちょっとしたミスや迂闊さから犯罪者に付け入るスキを与えてしまうことは誰にでもあり得ることです。ここぞとばかりに被害者を叩いている人達は、そういったことささいなことを理由に非難される社会を望んでいるのでしょうか(ただまぁ、“なぜか”そういった批判は性犯罪にばかり集中するのですがね)。
 しかし実際に事件がおこった後は、ここぞとばかりに「それみたことか」と被害者の“落ち度”をあげつらう奴らが湧いて出てくるのです。んなもん後からならいくらでも言えるっちゅーに。

 問題は、そういった非難が「“落ち度の無い被害者”のみを許容する」ということに繋がり、その結果、特に好奇の目で見られやすい性犯罪の被害者は世間に訴えにくくなるという状況を生むということです。
 “リスク管理”を叫ぶことがリスクを生むという、なんとも皮肉な話ですね。

 “リスク管理”という単語を見かけたら、「リスク管理を名目にした被害者バッシングかもしれない」と疑いましょう。リスク管理のためにね!

公の場で何か言うときは効果と影響を考えた方がいい

 しかし「犯罪に遭うリスクを減らすために注意を喚起することもダメなのか?」という声もあります。
 根本的に勘違いされているのは、それぞれの“効果”と“影響”です。

 あなたが友人知人に「夜の繁華街は危険やから出歩かんほうがええよ」と言う場合、それは相手にこれから起こり得る可能性の一つを提示することであり、相手の選択の幅を広げることです。それが“効果”。
 それを聞き相手がどのような行動をとるかは当人が判断すること。その程度の“影響”であり、その程度で良いのです。

 しかし産経の記事や県知事の発言は、すでに起こってしまった事件の被害者の行動をあげつらってのものです。言うまでもなく、性犯罪で一番苦しんでいるのは被害者本人です。「それみたことか」とばかりにその被害者の“落ち度”を指して責めることにどのような“効果”があるのでしょうか。それは単に傷ついた被害者をさらに傷つけ、自責の念へと追いやるだけではないでしょうか。
 また、産経新聞と言えば、“三大紙”に入れてもらえなくても一応は全国に名の通った新聞です。そこで“落ち度”をあげ責めることがどういう“影響”をもたらすか。県知事という発言力を持った人間に「どうかと思う」と言われることがどういうことか。

 これらの違いを考えなければ、その“リスク管理”とやらは何の効果も与えないでしょう。

夜中に繁華街で遊んでたから、なんなの?

 さて、「夜中や深夜まで繁華街をうろついている」ということは、果たして批判されるべきことなのでしょうか?
 「実際そのケースで被害に遭ったのだから当然だろう」と思うかもしれませんが、そうなったケースだけを取り出せば100%になるのは当ったり前です。しかし実際には、夜中に繁華街で遊ぶ女性の大多数は犯罪被害に遭っていません。

平成15年の犯罪(警察庁)
罪種別時間帯別認知件数(pdf)

 例えばこれなどを参考にすると(あくまで単なる認知件数でしかありませんが、とりあえずの参考として)、学生の下校時間辺り(16〜18時)の強姦件数は150件、深夜0〜2時辺りだと356件。これだけ見ると圧倒的に思えますが、そもそも強姦に遭う確率はどの程度でしょう。
 最近はやれ犯罪の凶悪化だとかリスク管理だとかいった声が大きく勘違いしそうになりますが、日本は治安の良い国です。「夜中に繁華街で遊んでいればレイプ事件に遭う」とういうことがデフォルトではありません。

 2003年の強姦件数は約2500件。これほど被害者がいるということは悲しい話ですが、しかしレイプ事件に遭う確率を考えた場合、その可能性は僅かなものだとも言えます。女性だけに限定し、年齢からレイプ事件に遭いやすい層を狭めに1/3と考えても、対象となるのは約17000000人。
 一方、約2500件全てが夜の繁華街で起こったわけではもちろんありません。約1/3は顔見知りによるものであり、それ以外も自宅だったり道端だったりと様々。
 基本的なレイプに遭う確率自体が少ないのなら、それが3倍になったとしても実際の差は僅かなものです(強姦の認知件数は強盗件数の約1/2程度であり、粗暴犯の約1/40程度であり、窃盗犯の約1/1000程度です)。

 つまり被害者の側にとってみれば、リスク管理や防犯意識云々以前に、とても運が悪かった。たまたま犯罪者に目をつけられてしまった。ただただ夜の街で楽しんでいただけ、であり、被害者が犯罪を招いたわけではない、ということ。決して、「夜中に繁華街で遊んでいれば当然」なわけありません。

 「それが僅かな差であっても夜中に出歩かないことでリスクを回避できるのならそうすべきだ」と言うかもしれません。
 真面目に品行方正にキヨクタダシクウツクシク生きている人にとって、夜中に繁華街で遊ぶようなことは下らなくいかがわしく「フリョーのはじまりだ!」とか思われるのかもしれませんが、しかしそれは人それぞれです。
 なぜ夜中に遊ぶのかと言えば、ある人はそれ以外にストレスを解消する方法を知らなかったり、ある人はそういうところにしか居場所を見つけられなかったり、あるいは純粋に他には代えがたい楽しさを感じたりと、その理由は様々でしょうが、共通して言えることは、僅かなリスクとは引き換えにできないくらいには価値があるということです。
 それを理解できるかどうかは関係ありません。ただ、生きていく上で必要なガス抜きや娯楽を、“安全”とそう簡単に引き換えにできるわけではありません。そんなに僅かな“安全”が大切なら、スキーヤーやサーファーや登山家などの、その趣味に危険の伴う人たち全てを批判すればいい。

合意の無いSEXはレイプ

 沖縄の事件では、被害者が容疑者についていったとうことが槍玉にあげられています。それをもって「軽率だ」とか何とか言いたい放題。
 しかし詳細が明らかになっていない現状(明らかにならなくて良いのだけど)、「軽率」と断定することが実に「軽率」です。何かやむにやまれぬ事情があったのかもしれないし無かったかもしれない。

 私は容疑者と犯罪者を明確に分ける必要があると考えるし、個々の(特に)性犯罪事件の詳細が広く知られるべきではないと考えるので、特定の事件についてどうこう言うつもりはありません。
 ただ、ハッキリ書かなければならないのは、どういう状況でも、被害者と加害者がどんな関係であろうとも、合意の無いSEXはレイプだ、ということ。
 男性の家に女性が上がったからといって、それは襲ってもいいということではない。お互いに“つきあっている”という関係でも、それはSEXを認めたこととは違う、ということ。

犯罪は被害者がいるから起こるのではない

 イギリスでの監視カメラについての調査では、監視カメラの周辺では犯罪が減ったが、代わりに監視カメラの無い場所での犯罪が増え、総犯罪数に変化は無かったという調査結果があります。また、そもそも監視カメラと犯罪件数の相関関係は無いとも言われます。
 日本については監視カメラについての調査はろくすっぽおこなわれていないのでよくわかりませんが、そういった調査から考えると、犯罪は防犯意識やリスク管理などによってどの程度防げるのかが疑問となります。先日のニュースでは、監視カメラなど気にもせず凄まじいスピードで機械から金を抜き取るガソリンスタンド強盗の事件が放映されていました。

 いじめなどもそうですが、犯罪は強く警戒すればするほど巧妙になり、地下に潜っていくものではないでしょうか。
 もちろん警察の努力などを無意味だと言うわけではありませんが、抑止や監視による防犯には限度があると思えます。まして、個人による防犯努力などどの程度の効果があるのでしょうか?本気で“リスク管理”を考えるなら、まずはそこから考える必要があるでしょう。

リスク管理チキンレース

 一方で、リスク管理だ危機管理だ自己責任だと“危機感を煽る”ことがどのような効果をもたらすのでしょうか。
 リスク管理や防犯意識の必要性を過剰なまでに訴えることよって、皆が様々な犯罪に対して対応策をとる。犯罪者はそれを掻い潜ろうとする。その犯罪の被害者の落ち度を責め、更なる防犯対策を訴える。そうやって犯罪者とのチキンレースを繰り返せばどうなるか。その行き着く先は「女は家から出るな」になるんじゃないでしょうか。

 犯罪を犯すのは簡単です。台所から包丁を持ち出し、テレビを見ている家族の後ろから近づき首筋を切りつければ、殺人事件の完成です。車を持っているなら、フルスロットルで人ごみに突っ込めば大量殺人が可能です。
 どれだけ防犯対策をとろうとも、常に犯罪を起こせる“スキ”はあるのです。何なら個人宅の各部屋にも監視カメラ設置を義務づけますか?車は10キロまでしか出せないように規制しますか?
 それは誰もが「極論だ」と言うでしょう。私は私で防犯意識そのものは必要だと考えています。しかし、現実には“極論に匹敵する防犯対策”がすでに始まっている、私はそう感じます。このままチキンレースを続けていていいのでしょうか。

結局、あなたはどうなれば満足?

 で、結局のところ、「批判されることのない性犯罪被害者像」とはどのようなものなんでしょうか?

 「家に閉じこもり、ドアには3重のカギを掛け、来客にはインターフォン越しにのみ対応し、にもかかわらず針金の入った窓を特殊な器具を用いて破った複数の屈強な男が、恐ろしい凶器を持って襲いかかり、普段から備えている防犯グッズを使い、かつ護身術を駆使しても叶わず、殺されることも覚悟して最後の最後まで殴られながらも必死の抵抗を試みた結果、被害に遭ってしまった」ような被害者のみが批判を免れるのですか?

 「いや、そこまでは…」と言うでしょうが、後は“どの段階か”です。
 つまり、ただの野次馬である“あなた”が、どの段階なら満足するか、という実にクソくだらない、どうでもいい話です、これは。

 私たちは、赤の他人に自分の人生を評価されるために生きているわけではない。同情できるとかできないとか知ったことではないし、当人にとって人生を左右する事件を“リスク管理”の土台にするような“あなた”のことなんてどうでもいい。

都合が良い時だけ“セカンドレイプ”という言葉を使っているのは誰か

 ここで、「ここぞとばかりに」私が過去光市事件について書いたエントリーから、“セカンドレイプ”について書いた部分を再掲します。

弁護団の主張はセカンドレイプなのか
 今回の裁判に対する批判の中で、「弁護団によるセカンドレイプだ」というものをいくつか見かけました。日本で“セカンドレイプ”という問題が注目されていたとは知りませんでした(皮肉)。
 確かに今回の弁護団の主張は、すでに亡くなっているとは言え被害者女性の尊厳を傷つける可能性のあるものです。
 では、どうすれば良いのか。もし仮に弁護団の主張が事実だったとしたら、どう主張すれば被害者を傷つけないですんだのでしょう?セカンドレイプという問題の難しいところは、事実関係を争う上で被害者を傷つける主張をおこなわなければならないことがあることです。
 そもそも、セカンドレイプの問題は個々の裁判での事例の問題ではなく、警察・司法の抱える構造的問題であり(改善されつつあるけど)、被害者のプライバシーを顧みない報道の問題であり、そして今なお「被害者にも落ち度がある」という主張がまかり通り、被害者が非難や好奇の目に晒される社会そのものの問題です。
 今回“セカンドレイプ”という言葉を用い批判している人達は、これらの問題と向かい合う気があるのでしょうか。単に弁護団を非難するのに都合が良いから使っているだけちゃうの?と。。
http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070624/1182692975

読んでほしい議論

最後に、あるブログのエントリーを紹介して終わります。

2005-12-02

 このエントリーは、(たぶん)私がブクマコメントで紹介したことで20以上のブクマを集めるくらいには注目されましたが、今となってはそのブログの内容から、これで良かったのだろうかと思うことがあります。しかしその内容は、“防犯意識”を訴えながら「派手は服装をしていたんだから自業自得だ」といったような全く的外れなことが言われる現状において、一人でも多くの人に読んでもらいたいものでもあります。なので、改めてここでも紹介しました。