tasoiさんへの応答・ラスト

kurotokage2007-08-14

 前回のコメントへの応答です。
 色々と書いたものの、余計だと感じたので一端全部破棄。
 コメントを読む限り細かいところを除いてお互いの齟齬は大分解消されたようなので、今回のやりとりの大本部分について改めて書き、これでもって終わりにしたいと思います。

 tasoiさんは例のバナーに対して「アレげ」と評しましたが、tasoiさんの弁によるとそれには悪意は無く、他愛のない普通の対話だということ。tasoiさんがそう言うならそうなのでしょう。まずそのことを信じます。私も表現方法の是非についてアレコレ言うつもりは全くありません。
 しかしここで問題が出てきます。tasoiさんの申告を信用するなら、他の人の表現も信用する必要があります。具体的には、tasoiさんがとりあげたrnaさんのブクマコメント。これも「悪意の無い他愛ない揶揄」であることを前提にしなければなりません。でも、tasoiさんはそれを“嘲笑”とし問題視しています。
 結局私が問題だと思っているのは、tasoiさんのそういった態度です。他者には自身の表現の正当性へ理解を求めながら、tasoiさん自身は他者の表現を不当なものとして決めつけている。自身の表現は“嘲笑でない”とし、他者の表現は“嘲笑だ”とする。悪意の有無を問題とするなら、何故rnaさんに確認をとらなかったのでしょう(もう今更なのでやらないほうが良いでしょうが)。rnaさんはブログを公開している方であり、確認の取りようのない匿名コメントとは立場が違います。
 私から見ればtasoiさんの「アレげ」もrnaさんの「イナゴの飼育記録」も大して変わりのないものであり、悪意の有る無しに関わらず、それ単体なら取り立てて問題にするようなものではありません。
 悪意の有る無しを問題とするなら憶測ではなくその点を明確にしてから問題とするべきですし、表現方法を問題とするなら具体的にどこがどう問題であるかを解説するべきでしょう。

 そして、tasoiさんとD_Amonさんのやりとりを読んで思ったこと。それは“感情を理解しない”ことと“感情論に頼らない”ことをtasoiさんが混同してしまっているのではないかということ。
 例えば、日々の生活が苦しく、「明日幸せに生きたい」と願う人の気持ち。それをD_Amonさんが理解していないか?D_Amonさんのブログの過去ログを読めばそんなはずはないことがすぐわかります。
 しかしそういった感情のみに基づいた訴えは、「今不幸な人は過去の努力が足りなかったためだ。俺は努力しているからお前みたいにはならない。」というような典型的な自己責任論の前には無力です。価値観が根本的に違う相手へ感情論で訴えてもどうしようもありません。求められるのは、感情論をお互いに共通する言葉へと変換すること。感情論をぶつけ合うのは、対話以前の状態であるということ。

 結局のところ相容れないのがこの2つであり、この2つは同じものだと言えるでしょう。
 tasoiさんが自身の感情を根拠にしている限り、これ以上は平行線でしかありえないと思います。まぁ、それならそれで良いのかもしれませんが。

 以下は蛇足。

 “思いを汲み取らない”について。
 “(いわゆる)ネットイナゴ”の思いを汲み取る、ということは、“ネットイナゴ”を一緒くたにして批判することの裏返しでしかありません。彼らの動機は、善意に基づいたもの、悪意に基づいたもの、単なる暇つぶし、など個々によって違うでしょう。そういったものを一緒くたにして“思いを汲み取る”ことができるのでしょうか。
 できることは、“リンチを正当化する”・“他人のブログを炎上させる”といった確実に共通する部分のみによって一括りにし批判することしかないと考えます。これは過去の私自身に対する自戒を込めて。

 “改悪”について。
 これは本当にどうでも良いことだけど、前から気になっていたので。
 tasoiさんに限らず、“改悪”という表現に反応する人をよく目にします。確かに“改悪”という表現には「改革すると悪くなる」という意味合いがある“偏った”表現だと言えるでしょう(というかそれを目的にしているのわけですが)。しかし、それならば“改正”という表現もダウトとなるはず。“改正”は「改革すると良くなる」という意味合いがある“偏った”表現なので、公正な表現を求めるなら(そのこと自体がおかしいと私は思いますが)“改革”という表現しか許されないはず。
 しかし実際には“改正”は問題とされず“改悪”のみが問題とされます。私もそういった些細な表現にピリピリする人に気をつかって、括弧付きの“「改正」”という表現を使っています。この非対称性は何なのでしょうね?何故「“改正”という言葉はキモチワルイ」とか言われないのでしょうね?

 私からは以上です。さすがにちょっと疲れたので(こういうガチではない形でのやりとりは慣れていないので)、しばらくはとりあげません。