死刑制度について少し

 最近死刑制度について話題になることが多いようです。
 その中で「被害者遺族の心情を考えろ」という死刑制度支持の発言をよく目にします。別に感情論だからといって否定するつもりはありません。感情も考慮しなければならないものだと思っています。

 しかし、何故「冤罪で死刑になった被害者や被害者の心情を考える」ことには至らないのでしょう。人間は間違いを犯すのもであり、それは犯罪者も裁く側もそうで、冤罪は絶対に無くならないでしょう。
 冤罪は冤罪だからこそ、どれだけの割合で起こりえるかわかりません。もしかすると0.00001%かもしれませんし、99%かもしれない。少なくともマスコミの報道でしか凶悪事件を知り得ない私たちには絶対にわからないことです。まあその辺は筒井康隆の小説や、映画なら「マトリックス」や「トゥルーマン・ショー」、アニメなら「プリンセスチュチュ」などのメタフィクションものを読んで(観て)考えて下さい。
 冤罪で刑を受けることは、犯罪の被害に遭うのと同じくらい不幸で理不尽なことです。いや、犯罪被害者は世間の同情を受けやすいですが、冤罪となると世間から「あいつは死刑で当然だ」などと言われ、世界中が敵になると言っていいでしょう。冤罪には最大限の配慮が必要だと考えています。

 死刑制度支持者は冤罪で死刑となる人間から恨まれることを覚悟しているのでしょうか?もし私が冤罪で死刑となるなら、日本中の死刑制度支持者を呪いながら死にますよ。ムド!

関連リンク:
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