メタ的視点から見た「E・HERO」の語り

 今回は、直接カードの性能などに言及するのではなく、原作との関係性などから「E・HERO」の現状を語る内容で、こういったことに興味のある方だけ“続きを読む”をクリックしてください。また、むやみに長いので気をつけて(?)ください。


 「遊戯王OCG」において、一般的なユーザーからは「E・HERO」シリーズはダメカードと見做され、「E・HERO」をもっと実践的な性能にしろ、というような注文がよくなされています。
 しかしその注文は「遊戯王OCG」全体、ひいては原作も含めた「遊戯王」全体に対して幸福な注文となるでしょうか?私にはそうは思えません。現在の「E・HERO」は実に理想的な立ち位置に居ると考えています。

TCGとメディアの関係

 漫画・アニメなどとメディアミックス関係にあるTCGは、大きく分けて2種類あります。1つはTCGから漫画・アニメになったもの、もう1つは漫画・アニメからTCGになったものです。前者は「デュエルマスターズ」や「モンスターコレクション」などがありますね。後者には「金色のガッシュ」や「真・女神転生(TVゲームですが)」などが挙げられます(正直遊戯王以外のTCGはあまり良く知らないので変なチョイスかもしれませんが)。
 「遊戯王OCG」はもちろん後者に当たります。しかし「遊戯王OCG」が他の原作付きTCGと大きく異なる点は、原作のキャラクターそのものがカードになっているのではないということです(ごく一部例外あり)。あくまで原作のキャラクター達が使ったカードがカード化されているのであって、原作付きTCGであっても間にワンステップ踏んでいる状態と言えます。

遊戯王OCG」の特殊性

 「遊戯王OCG」のこの原作との特殊な関係性は、色々な面白い現象を生んでいます。例えば、思い入れのコントロール
 「ガンダムウォー」というTCGがあります。私はやったことはありませんが、もしやるなら「0080ポケットの中の戦争」に出てきたMSのカードばかりに執着してしまうでしょう。それは私が「ガンダム」全体と、「ポケ戦」という作品、さらにそれに出てきたMSに対して人一倍の思い入れがあるからです。しかしそれではまともに勝負できるデッキは作れないでしょう。
 同じことは他の原作付きTCGでも、原作が好きでそのTCGをやろうとする人全てに当てはまり、純粋にTCGとして楽しもうと考えると思い入れを押し殺さなければなりません。

 しかし原作付きTCGの魅力の一つは原作との結びつきそのものにもあるので、思い入れを殺してTCGをするのは魅力の一つを捨ててしまっていることにもなります。また、原作と直接的な関係にあるTCGでは、原作への思い入れを持たずにプレイする人間はおそらく少数派だと思うので、多くのユーザーが思い入れとの兼ね合いに苦しむことになるのではないかと思います(あくまで想像です)。

 しかし「遊戯王OCG」は原作との関係が間接的なものなので、思い入れとの兼ね合いを調整しやすいと考えられます。原作キャラの使ったデッキを忠実に再現することもできれば、好きなキャラの使うキーカードを1枚だけデッキに入れておくという方法もとれます。前述の「ガンダムウォー」だと、「逆襲のシャア」や「ZZ」のMSばかりのデッキに1枚だけ「ケンプファー(「ポケ戦」のMS)」を入れても思い入れを満たすことは難しいでしょうが、遊戯王OCGなら好きな原作キャラそのものがカードになっているのではないのだから、簡単な方法でも思い入れを満たしやすいでしょう。『スタンダードデッキ』をベースにしながらそこに思い入れのあるカード(メジャーなところでは「ブラック・マジシャン・ガール」など)を入れれば、思い入れを満たしつつ、純粋なガチデッキともそれなりに良い勝負ができます。「強欲な壷」や「死者蘇生」(今は禁止ですが)のようなどんなデッキにも入るカードは、原作でも多くのキャラが使っているので思い入れを阻害することにはなりにくいです。
 純粋にTCGとして楽しむ場合でも、他の原作付きTCGほど思い入れを殺すことにためらいは生まれません。こういったことから、他の原作付きTCGよりも原作からの独立性が高いと言えます。

 また、その独立性の高さから、原作を踏まえないでTCGからその世界に入ることも容易いと思います(私がそうでした)。
 さらに原作に登場していないカードも当たり前に受け入れられ、TCGとしての幅も広がりやすいでしょう(「ガンダムウォー」にオリジナルのMSが出てきたら、ちょっと興ざめしてしまいますよね、って実際にあったりして)。

疑似体験のためのツール

 そして、今回の内容と深く関係するのが、疑似体験のためのツールにもなり得るということです(ヴァーチャルってやつ)。

 またも「ガンダムウォー」を持ち出しますが、このゲームでは原作で描かれていたキャラクターの体験などを再現することはできないでしょう(いや、想像で書いていますが、もしそういうことができるのならごめんなさい)。それは原作に登場したMSやキャラがそのままゲームの“駒”となるからで、疑似体験として成り立たないのは当然です(同じゲームでも、プレイヤー=主人公となるタイプのTVゲームとは根本的に異なります)。
 しかし遊戯王OCGの場合、自分がプレイする上ので“駒”は、同時に原作キャラの“駒”でもあり、ここで“プレイヤー=原作キャラ”という図式を成立させること、つまり原作キャラの疑似体験が可能となります。
 それは原作再現デッキなら最大限に近くなり、そこまでいかなくとも、原作キャラがメインで使うカード(「ブラック・マジシャン」など)を1〜2枚入れるだけでも原作キャラが使うカードを使う、という疑似体験ができます。

 さらに言えば、虚構の「遊戯王」の世界で遊ばれているカードゲームが現実の世界で再現され、それだけなら“コスプレ”などと同じようなも感覚ですがそれでは終わらず、原作のそれとかなり近いルールで楽しむことができるのは、メタノンフィクションとでも言うべき不思議な事態ではないでしょうか(大げさですか)。

 この辺りが遊戯王OCGの特に特殊な部分だと思われます。

カード性能のバランスの問題

 前置きがメチャ長くなりましたが、ここでようやく「E・HERO」の存在について。
 「E・HERO」シリーズは、「遊戯王」の続編に当たる「遊戯王GX」の主人公・遊城十代がメインで使うカードです。
 私はこのカードがOCGで登場する前、コナミがカードを売らんがために凶悪な効果やステータスに仕上げてOCG化するのではないかと危惧していました。思い描いてみましょう、トーナメントで勝つデッキが、アニメの主人公が使うようなデッキばかりという光景を。…それってすごくダサくありませんか?
 いや、ダサい・ダサくないは極めて主観的なものなのでどうでもいいのですが、そのような状況になると、せっかくの原作とOCGの上手くとれていたバランスがくずれてしまうことになります。

 少年漫画や少年アニメで、主人公がツール(武器など)の性能の差で強力な敵に打ち勝つような展開はあってはならず、あくまで努力だとか根性、技術、アイデアなどで勝たなければ少年向けのドラマとして成立しません。強敵に苦戦したあげくに読者が思いもつかないような方法で逆転しなければならないのです。決してツールの力によってではなく。
 通常の作品なら主人公がどれほど不利な立場かは作品そのものから読み取らなければならず、それができなければ(描ききれていなければ)ドラマが弱くなってしまいます。しかし「遊戯王」の場合は、作品外、つまりOCGを通してそれを認識することができます。

 「遊戯王」の場合、ツールはカードに相当します。つまり「遊戯王」の主人公は相手よりも劣るカードを使いながら勝たなければなりません。
 初代「遊戯王」では、主人公の武藤遊戯は「ブラック・マジシャン」をメインのカードとして使っていました。このカードは効果の無しの7つ星、攻撃力2500のモンスターです。OCG化する時どこまで配慮したかは知りませんが、ノーマルモンスターでも他にもっと扱いやすいカードは沢山あり、お世辞にも強力とは言いがたい、少なくともトーナメントシーンでは活躍できないカードです。
 しかしだからこそ、OCGをプレイすることによって「ブラマジ」の“弱さ”を認識し、原作の主人公がその“弱い”カードで戦っているということを実感できるのです(あまり“弱い”といった形容はしたくないのですが、あえて)。

 これは、他ではちょっと見られないメディアミックスの成功例だと思います。単に原作キャラの疑似体験的なことができるだけでなく、OCGをプレイすることによって原作の主人公がどれだけ不利な立場にいるかをさらに“追体験”できるのですから(実際に「ブラマジ」を使ったデッキを組まなくとも、OCGをプレイしていれば「ブラマジ」がどの程度の性能かは理解することができます)。言ってみれば、キャラクターの心情をも疑似体験できるということです。

 もちろんこれらは原作とOCG両方に接しているユーザーのみにしか当てはまらないものですが、逆に言えば両方に接しているユーザーは、両方を100%以上楽しめるということになると思います。
 原作とOCGの関係は間接的なものですが、それが逆に強い結びつきを生んでいると考えています。

「E・HERO」の立場

 そして「E・HERO」です。素材となるモンスターは、原作どおりの低ステータスノーマルモンスターとしてOCG化されましたね。融合後のモンスターも、手間がかかる割には微妙な能力です。しかしだからこそ、原作の主人公がどれだけ不利な状況で戦っているかということを疑似体験できるのです。
 考えても見ましょう、原作で十代がもし「混沌帝龍−終焉の使者−」や「カオス・ソルジャー−開闢の使者−」などを使っていたら。相手がどんなキャラクターでも、勝って当然と思うでしょう。ドラマを盛り上げるために苦戦する場面を描いたら、こんな強力なカードを使っていながら苦戦するとは、と感じるでしょう。

 「E・HERO」は原作との関係から、ガチプレイヤーが歓迎するようなトーナメントで通用する強力カードであってはならず、原作が好きなプレイヤーや楽しいデッキを作りたがるカジュアルプレイヤーが歓迎するようなカードであるべきなのです。
 現在の「E・HERO」はガチプレイヤーからは戦力外通告されていますが、原作好きのプレイヤーからは気軽に原作の雰囲気を楽しむためのカードとして愛され、カジュアルプレイヤーからは「E・HERO」自身の多様性や豊富なサポートカードから面白いデッキを作るためのカードとして愛されていると思います。
 この「E・HERO」の立ち位置は、私から見れば実に理想的なものに映ります。

 結論:「E・HERO」は今のままの方向性で良い!…求む反論!!

 …えー、前々から書きたいと思っていた内容をようやく書くことができました。でも2日もかけて書いたわりにまとまりが悪いですね、ごめんなさい。しかも全くどうでもいい内容だし。
 ちなみに「ガンダムウォー」を何度か引き合いに出しましたが、別に「遊戯王OCG」と比べて劣っているとか言いたいのではありません(そもそもやったことないし)。あくまで他の原作付きTCGと比較して「遊戯王OCG」の特殊性をピックアップしたかったからで、別の原作付きTCGでも構わなかったのです(単にメジャーそうで、なおかつ私が原作をよく知っているから)。