死刑容認とメディアリテラシー

kurotokage2007-01-21

 私が「週刊金曜日」という雑誌を毎週読む理由の約82.5%が、『人権とメディア』という連載のためです。この連載は現役ジャーナリストによる報道批判で、非常に読み応えがあります。
 1月19日発売号での同記事『「死刑と報道」 厳罰化世論を煽ったのはだれか』(山口正紀)がとても興味深い内容だったので、一部引用、というか量的に(無断)転載します。

各紙記事は、未執行者が九八人に達していたとして、《「100人超えを許したら制度としておかしくなる」》との「法務省幹部の危機感」を強調した(『朝日』)。だが、なぜ確定者が100人に迫ったのか。
死刑廃止国家条約の批准を求めるフォーラム90」によると、〇三年まで年間二〜七人だった確定者が〇四年以来毎年二桁になり、〇六年までの三年間で四四人。その結果、二年前まで五〇人台だった確定者がいっきに倍増した。
 この数年、過去の「裁判の常識」を覆す死刑判決が頻発している。
 事件当時少年だった「連続リンチ殺人事件」の三人に対する死刑判決(〇五年一〇月・名古屋高裁、一審では二人は無期懲役)、事件当時少年の被告人に死刑を求めた「光市事件」差し戻し判決(〇六年六月・最高裁)、麻原彰晃・元オウム真理教代表の裁判打ち切り(同九月・最高裁)、被害者一人のケース(奈良女児誘拐殺人事件)での死刑判決(同九月・奈良地裁)。
 現在、最高裁係属中の死刑事件約四〇件のうち七件は、この三年間の高裁判決で一審・無期懲役が死刑に「厳刑化」されたものだ。
 各裁判所で言い渡される死刑判決は、九〇年代まで多くて年間二〇人台だったのが、〇三年三〇人、〇四年四二人、〇五年三八人と急増し、〇六年には四四人に上った。
「殺せ、殺せ」のすさまじい死刑判決ラッシュ。その背景には、メディアに煽られた「厳罰化」世論がある。政府調査では、八〇年に六二%だった「死刑容認」世論は、〇四年に八一%に達した。事件発生時の集中豪雨的「凶悪犯」報道、被害者遺族の「復讐感情」を増幅する裁判報道が「世論」を煽り、裁判所がそれに応える。

 私も「死刑容認」世論がマスコミによって煽られたものだという認識を持っていましたが、その辺のことが数字とともに詳しく書かれています。
 んで、これを裏返すと、最近web上であれこれ言われている“メディアリテラシー”の問題と絡んでくると思います。

 実際の犯罪数とは裏腹の犯罪報道、それと呼応するかのような厳罰化の声。しかし死刑容認の人に尋ねると「自分の考えはマスコミの誘導とは関係ない」と答えるでしょう。誰もが自分のメディアリテラシーは高いと考えるものです。が、自分の考え方が何の影響を受けたものであるかを客観的に自覚できる人はそうそう居ないでしょう。
 私は死刑反対の立場だからあえて、特に普段webで激しいマスコミ批判をしている人に聞きたい。あなたの死刑容認という考えは本当にマスコミの報道とは無関係なものでしょうか。

 過労で眠いので、全然まとまらないまま終わります。あ、つにで、同誌で現在集中連載されている『「ワーキング・プア」の現実 第2弾』もオススメです。特に一回目の『フリーターがホームレスになる日』(雨宮処凛)はなかなかの迫力でした。
 …ってなことを書いていると「「金曜日」の回し者か」とか言われそうですが、決してそんなことは!どちらかと言えば「世界」の…(えー)。